イントロダクション

「今日は6月29日です。田んぼは全て、雑草畑になってしまいました。

             原発によって、村を追い出された、追い出されて残った土地です。」

福島県飯舘村(いいたてむら)。原発事故後、全村避難となり 6,200 人もの住人が村を追われ避難生活を強いられている。「当事者の目線で、自分が実際に味わっていることを伝え、後世に残さないとだめだ」。飯舘村で酪農家として、家族とともに暮らしてきた長谷川健一さんはビデオカメラを購入し、独学で撮影をはじめた。


飼っていた牛が売られていく様子、荒れ果てていく田畑、全村避難までの粛々とした時間、そして、 村の自宅で家族が集まった最後の晩餐。刻々と変わる状況とは対照的に、静かに移り変わる放射能に汚染された風景。長谷川さんが撮影時に吹き込んだコメントが時折、映像を詩的に彩る。

 



「築20年、やっと建てた、我が家です。これも、置いていかなくてはならない。

      ここで、家族がそろって暮らす日は、二度とこないだろう。それだけは、言える。」

長谷川さんは 2011年4月中旬にビデオカメラを購入し、記録を続けてきた。本作品は2011年4月23日から8月23日までの4ヶ月間に撮りためられた約37時間に及ぶ映像を68分にまとめた。当事者が自らの思いを伝える意味、ジャーナリズムとは何かを問いかける。

 

制作背景

フォトジャーナリスト・森住卓さんの写真集「福島第一原発 風下の村」(扶桑社)。5月25日に撮影された写真「悔し涙」に、飼っていた牛が屠場に送り出されるときにビデオを構えながら涙を流す長谷川健一さんの姿が写っている。

 

OurPlanet-TVが長谷川健一さんを知ったのは、この1枚の写真がきっかけだ。代表の白石草がその後、長谷川さんのもとを訪れる。ホームビデ オで撮影された映像には、テレビでは描かれることのない視点から、311から変わりゆく暮らしが 静かに記録されていた。「当事者が伝える」ことの意味、そしてジャーナリズムの原点。「自分が実際に味わっていることを伝え、後世に残したい。」という長谷川さんの思いに共感し、ドキュメンタリ ー作品としてまとめることを提案した。

2013年9月14日から9月20日、OurPlanet-TV は東京・ポレポレ東中野で「福島映像祭 2013」 を開催。この映像祭での公開を目標に、2013年7 月から編集を開始し、長谷川さんとともに「飯舘村 わたしの記録」を完成させた。

伊達市の応急仮設住宅に移った現在も、長谷川さんは記録を続けている。